2015年1月31日土曜日

ワンダー母さん

今日はBridge 小林あかねさんのハチスオフィスで

あかねさん・校長・私とワンダー学校について打ち合わせをしました。

今日は、子どもに与える親の影響が大きいという話になりました。

素晴らしい活動をするワンダー先生を育てた

ワンダー母さんはどんな子育てをしていたんだろう?


そんな話から勝手につくった。

ワンダー母さんになるための心得


素晴らしいものに子どもとふれること

ものをつくる事を楽しめる環境を用意すること

子どもの自主性を尊重すること(でも失敗したら自分に責任があるというルールのもと)



子育てというのは、自分が育った環境を無意識のうちに

繰り返してしまうもの。

だから、

ワンダー母さんをお手本に子育てを楽しめたらいいなーと思う。















2015年1月18日日曜日

心地よさについて

知的障がいを持つ人を支援する施設で働くお友達に会って聞きたい事があった。


障がいを持つ人の心地よさについて

障がいを持つ人と大きくくくればくくるほど
心地よさがわからなくなってきていた。

特に自閉症の人の場合、”私とは違う世界感を持っている”と思った方が
良いらしい。

わたしの姪は重度の自閉症なのですが
ここ数年ずっとずっと調子が悪い。
調子が悪いということがどういう事かというと
寝込むとかそういう事ではなく
他者に対して暴力的になる。
ずっと一緒に家にいるお母さんが対象になる事が多い。
でも
本人はそんな事をしてはだめだという心と勝手に反応してしまう体
そこに苦しみながら日々を送っている。

数年前に調子がとても悪くなった時
病院に入院した事があった。
まだ10代のとき
でも、そこは独房だった。
強い薬と真っ白い部屋
おばさんはその状況を見た時に
胸が苦しくなってそんなことなら
自分が大変でも一緒に家で過ごすと
決めたようだった。

と友人に相談したところ
意外な言葉はかえってきた。

「私たちからみると、独房のようかもしれないけど
特に自閉症の人は目からの情報が多すぎたり、その情報が処理できずに
パニックになったりすることがあるから
その真っ白い個室に入った時心地よさを感じたかもしれない。」
と。

そんな話をしていたものだから
ますます
心地よさについてわからなくなってしまった。

だから
結局は
みんなちがってみんなはっぴー
を考えるならば
細かく分けて行く事がとても大切なことだということ。

シュタイナーの4つの気質のように同じ気質の人同士が一緒に過ごす事により
心地よさや学び合いがうまれるように、
同じ障がいの人が集う場を作ることが大切だということ。

ということは
やはり
自分の子どもを軸とした将来について
考えて行くことが私には必要だし

他の障がいを持つ子どもの親にも必要だとかんじた。
もし、子どもの可能性や力を発揮しながら社会とつながって行く事をもとめるならばですが。









2015年1月16日金曜日

障がいという壁


このまちで
いちばん初めて感じた「障がい」という壁
それは3歳のとき
「合同発表会やパレードの演奏がちゃんと出来るようになるのかが心配です。」
これは、公立の幼稚園。



「森に来ては行けない子はいませんよ。」
これは、長岡の森のようちえん。(認可外)

同じ質問なのにね。
そしてこのまちの教育
子どもを囲む環境
大人の価値観
などなどにうんざりとしたときでした。


わたし達は片道一時間かかる長岡の森のようちえんに
入園しました。

天井は空で
床は大地
真夏は木陰で過ごし
冬はお日様の光を感じながら雪遊び

教材なんて物は特にないけど
クレヨンや絵の具、キャンドルの材料はシュトックマー
色鉛筆やセラミック粘度はリラ
季節の染め物は森の草花で草木染め
梅干しづくりに干し柿づくり


日々移り行く季節の中で
本物と出会いからだをつくる
そして意思を育む
わたしにとってパレードで見事な演奏をするよりも
そんな日常の中過ごす事が
豊かな人間へと成長するに違いないと
思うから。

そんな場所があるから
私は
障がいを持つ子を産んでも
とても幸せなのです。






2015年1月12日月曜日

12年後のはじめの一歩。

ワンダー学校のワンダー会議を行っております。

というより
船長よりアドバイスを頂きっぱなしなわけですが。
本当にありがたい。


なかなか
どうして
じっくりと考えています。

ワンダー学校と
私の次女の将来(12年後)と関係ないようで
結びつく何かを探し求めています。

知的障害によって
選択することが出来ない人がいる

次女の将来もこのままではきっとそう。

与えられた場所で
与えられた事を
与えられたようにする。

なぜか
私はそこに納得いっていない。
そしてとても不安。
そこが原動力となっているわけです。


だから
そこがかわるような活動をしていきたい。
その一歩を春に踏み出したいとも
思っているんです。

ということで
12年後のことを考えていて。

12年後には長女は20歳、次女は18歳
私は44歳、主人は45歳

元気でいなきゃね。

障がいを持つ子のお母さんもお父さんも
きっとそれぞれに考えていることがあって
みんな私が感じている事に共感する訳ではないです。

だから
それぞれが触れた
不安や納得のいかない部分に
働きかけることで
社会全体がよりよくなっていくと
思っている今日このごろです。

障がいを持つ人が
こんな制服をきて
働けるような
場所を12年後につくりたいな。

オーガニックコットンのボーダーT
シャツとワンダー蝶ネクタイ
リネンのズボン
白いスニーカー
谷帽子さんのとんがり帽子

こんなかっこうして
何しよう。

楽しそう。

2015年1月4日日曜日

あけましておめでとうございます。














『遠足は家に着くまでが遠足です。』と学校の先生が教えてくれたのに
目的地に着いたとたんこのしおりを無くした子の様に、すっかり投稿できておりませんでした。



2014・12・21(日)

 第2回ひろちゃん市は
約700人の方にご来場いただきました。
足下の悪い中お越し頂きまして、ありがとうございました。

このしおりを見て来てくださった皆様
ありがとうございました。
    
実行委員&当日のスタッフのみなさん。
ひろちゃん市に何か出来る事があれば…と力を貸してくれた人たちが
こんなに集まってくれた。
写真にはうつってない人も沢山います。


何か出来る事があれば・・・
様々な活動を通して築きあげた大切なお知り合いを紹介してくれた。
ステキなデザインでチラシを作ってくれた。
会場の演出を考えて、作ってくれた。
運営資金を生みだせるように商品を企画してくれた。
行政と繋げてくれた。
色々な人に頭を下げてくれた。
ドリップパックを寄付してくれた。
お金を寄付してくれた。

何か出来る事があれば…
子守りをしてくれた。
元気をくれた。
トランスパレントスターをおってくれた。
ガーランドをつくってくれた。
Fbでひろちゃん市をシェアしてくれた。
畳を貸してくれた。

何か出来る事があれば…
チラシをおいてくれた。
ひろちゃん市の事を話題にしてくれた。
記事にしてくれた。
イベントに出店してくれた。
折り紙をちぎってくれた。
一緒にイベントをつくってくれた。
寝不足で料理を仕込んでくれた。


自分にできることを自分の意志で行う。
そんな美しい思いに囲まれた時間でした。
   

ありがとうございました。

(写真:Toru Takahashi/ツムジグラフィカ)